5年前の議事録。
偶然、5年前の議事録を見つけた。
5年前、いまはミャンマー支社で同じポジションで働いている1人のミャンマー人スタッフと、
日本で、昼も夜も「設立初期のミャンマー支社をステップアップさせるにはどうしたらいいのか・・・」と頭を悩ませて、話していた。
話した結果は、たくさんの議事録となって残っていたが、そのうちの1つの議事録だった。
特にミャンマーから日本に来て、
のりこえなければいけないものが多くあった彼女にとって、大変な時期だった。
その議事録の日のことは、わたしも鮮明に覚えている。
「心が折れた。わたしがどんなに一生懸命やっても、ミャンマーは変わらないんじゃないのかな・・・?ミャンマー支社に帰ったとして、わたしの味方なんているのかな」とポツリと、表情の何もない顔で彼女から言われたとき、
当時新人の私もどうすればいいのか何もわからなくて、
「とりあえずおいしいものを食べに行って、そこで話そうか」と、
彼女が大好きだった親子丼を食べに行ったことを思い出す。
スキルも何もない新人が向かい合って話したところで、
何か具体的な策が出るわけでもなかったようで、見つかった議事録を見て、
「結局どうするんだよ」と突っ込んでしまったが、
議事録の最後に書かれた言葉を見て、胸が詰まった。
「私がやらなければ誰がやるのか。」
彼女が日本語で言った言葉を、日本語で私が書き留めていた。
私たちにはお互いに経験もスキルも何もなかったから、
彼女の諦めない強さだけが、その時の解決策だったのだと思う。
その数年後に彼女はミャンマーに帰り、
そのまた数年後にわたしがミャンマーに行き、
同じポジションで働いているなかで、この議事録を偶然見つけた。
わたしがその議事録と言葉を見つけたことを話すと、
彼女はそんなこともあったねぇ、と笑った。
5年前のスキルも経験もなかった私たちは、
いまの私たちにいろいろなことを思い出させ、支えてくれている。