それだけを手離さなければいいのだ、と思った。
Myanmarでお仕事していると、毎日なにかしらの問題が起きる。
問題というのは、水祭り休暇問題のような社員や会社に関することだったり、
停電やら家が壊れたとか生活のことであったり、様々。
ゆうがた以降の時間帯は鬼門だ。
何気ない報連相に、問題は隠れている。
ほとんど仕事(自分の職務としての業務)にはならない時間帯であり、
たいていが状況の確認と対応をする時間になる。
そして家に帰ると、「あらま、これ壊れたか」ということもある。
3月、日本から帰国した直後、
さぁここからだ、と思っていた矢先に大きな問題が起きた。
ただ、タイミングは重なるもので、
その晩、信頼する社員の何人かは予定されていた遠方での仕事に出発し、
直上の上司は日本帰任が控えていて、家も複数個所がこわれた。
毎日、その問題以外にも、何かしら会社では様々な問題が起きる。
手いっぱいで、家に費やす時間と気力はなかった。
しばらくそんな状態がつづき、そのさなかで上司が帰任したときは、
初めて、「羨ましい」という気持ちになった。
羨ましいと恨めしいは同じ気持ちなのだろう。
なぜか日本の穏やかで楽しみにあふれた生活が目についた。
(もちろん今は冷静なので、その上司は4年ミャンマーにいたわけだから、
「すごい」という気持ちと感謝しかない。)
このままじゃだめだ、という気がして、ある日曜日にひたすら家を掃除した。
家の不便だな、と思うところは徹底的になおした。
これから一緒に住む予定の社員が一緒にやってくれた。
その子には私は何も言っていなかったが、
「掃除シマス!」「ご飯タベマショ!」と明るく言う彼女に救われた。
埃っぽさとにおいが是正されて、清潔感が漂う家になった。
満足して寝転がったとき、すとんと、
「自分はこれから長い間、この国にいるんだ」と脈絡もなく思った。
どうせ何年後かには、こんなこともあったな、と思えるのだから、
それはそれでいいじゃない。
一気に何かが解決するなんてあり得ないから、
少しずつ解決していく他はないのだし。
帰りたい場所。
一緒にご飯を食べる人がいる。
それだけを手離さなければいいのだ。
そして今朝、ヤモリくんとの同居状態であったことを認識。
よし、ヤモリくん、頑張ってこの家を守ってくれたまえ。