愛しい感情は、もっと大切なことにとっておけ。
6年社会人をしていると、社員の退職を経験する。
そういった人たちの退職に、悲しいと思ったことはない。
ところが、この国の人は事情が違うようだ。
職業柄、社員の退職を説明することもある。
すると、泣く社員がたまーにいる。悲しい、のだそうだ。
※この先は、私の経験にもとづく単なる私個人の考えですので、
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なぜそのように泣き腫らすほど悲しいのか。
シスターがいなくなるように感じるから、とのことだ。
でも、そのシスターの責任には、言及しないの?
シスターは、君を take careすることを、将来少なくとも放る。
引継ぎ時に後任がうまくいくようにサポートしきって
責任を果たしてから退職される方はまだしも、
そうしてくれる保証もないし、それに言及せずに、
シスターがいなくなるの悲しい、のか。
「かなし(愛し)」はいとおしむ感情とどこかでつながっているから、
悲しい、と思うことには全身のパワーがいると思う。
私は29年のなかで1回、父が死んだときは明確に悲しかった。それくらい。
だから、きみを take careしない人のために、
悲しい、なんて愛しい感情は、消費する必要はないと私は思う。
(っていうか、私が仮に泣かれる側になったとしたら、すごい戸惑う。)
人って不思議で、最初、新人とかだと
「○○さんがいなくなって悲しい」と言ったりするが、
次があると、そのときは「怒り」になっている。
自分がおっている仕事の責任も、その人がおっている仕事の責任も、
理解しはじめるからだと私は思う。
ミャンマーも何十年かしたら、きっとそうなる。
だから、汝、悲しむことなかれ。
愛しい感情は、本当に互いをいとおしんだ、
その結果の痛みを乗り越えることに、とっておけ。