それは未来に存在するものなのか。
この6月中旬という時期、なぜか誰かから
「幸せになりたい。」とか「今が幸せではない。」
という相談や言葉がもたらされる。
ので、1年に一回くらいは、そうか、と真面目に考えることがある。
最初にその言葉を聞いて思うのは、
それは未来に存在するものなのか、ということだ。
しあわせなんてものは、まず今にしかないと思うけど、
それが今ないと感じるとしたら、なぜ未来にある、と想定し得るんだろう。
自分以外の何かを変えても、結局自分が変えないのだったら、
どこにいってどんな幸せを求めても、見つけられるのかと思う。
久しぶりに風邪をひいたので、
高校の後輩が一時帰国時にくれたのど飴の存在を思い出した。
食べようとしたら、のど飴のパッケージには、
私へのメッセージが書いてあった。
読むと、その後輩は、風邪のケースは想定しておらず、
私はよく叱る人だからと、そこから飛んで喉の心配をしたらしい。
たとえ同じ日本人でも、人格が形成されるという高校・大学時代を
同じ場所で同じ教育を受けて過ごしていたとしても、
人が何を考えてどう動くかなんて、やっぱりさっぱりわからない。
だから、もはやすべては自分の心次第、
そんなもんでいいんじゃないかと思う。