リケジョのミャンマー赴任記
ミャンマーでクーデターが起きて4週目。 軍の市民に対する発砲や暴力など、状況はひどくなる一方だった。それでも、市民は非暴力・不服従を貫いている。 ミャンマーの声、なんてものではない、ミャンマーの叫びが、報われてほしい。
ミャンマーでクーデターが起きて3週間目。 市民は非暴力・不服従の精神を貫き、軍政は銃弾を撃ち込んでいく。
Kyaukseというミャンマーの町で行われた国際カンファレンスに 基調講演者として呼ばれた。 10時間バスに乗って、ヤンゴンからマンダレー近くのその町まで行く。 道中の町は素朴で、助け合って生活している様が見え、 長距離移動でも疲れは感じなかった。
今日はオフィスを締めようとしていたら、停電復旧時の異常電圧のせいか、 インバーターが故障。社員s の明日の業務のための電気を確保するべく、 部下、残っていた社員と懐中電灯とドライバーを持って対応することに。
この6月中旬という時期、なぜか誰かから 「幸せになりたい。」とか「今が幸せではない。」 という相談や言葉がもたらされる。 ので、1年に一回くらいは、そうか、と真面目に考えることがある。
とても好きなカフェがある。 今日は慌ただしかった、という日や週末に、行くようにしている。
僕の彼女は品質保証である。 彼女がミャンマーに行ってから、もう少しで2年が経とうとしている。
僕の彼女は品質保証である。 そして彼女は今、ミャンマーという国で仕事をしている。
最近よくお世話になっている食事処「大ラ王」さん。 どの料理も美味しく、ボリュームもある。 特にコロッケとオムライスと鍋が美味い。 お腹がすいている日は、とりあえずここに直行する。
気づけばあと2週間で2018年が終わる。
よくわたしはミャンマー人と話をしていて、 「そんなこと聞かれても困っちゃう。」という顔をされる。
先日、「リケジョって何ですか?」と聞かれたので その場で回答したのだが、今、わたしは酔っている。 酔っているときこそ、何の恥もなくリケジョ思考回路を全開にできるので、 今後の説明のためにも、ここに記録しておこうと思う。
前記事の通り、健康診断 in Yangon に行ってきた。
ヤンゴンで健康診断を受ける(来週)。 お世話になるのは、Yangon Japan Medical Centre。
ルールと宗教は人を思考停止させる。 もちろん「だから、ルールも宗教もないほうが良い。」ということは断じてない。
2年目社員の「ちょっと思ったんですけど・・・」という一言から、 それは始まった。
ミャンマーでお付き合いのある方からは、 怒っているのが想像できない、と言われがちだ。
ふと、父の墓のことを考えることがある。 彼はこの春、私にとても大きな 人としての学びを残して死んだ。
うちのリーダー社員はよく、 Selfishな人たちに手を焼いている。 (学生などは特に、色々な人がいる)
ミャンマーで採用にかかわった社員が、 もうすぐ入社して1年をむかえる。
この問いかけは、よく支社を対象にして問われる。 支社に赴任した社員は、この問いかけを自分自身に問いかけながら、 支社と一緒に育っていく覚悟が必要だと実感している。
わたしはよく、うちの会社、と言う。
今日は同期の白井さんが30歳になり、本社で30歳記念ランチをしたそうだ。 自分が30歳になったその日よりも、 同期が30歳になった今日のほうが、なんだか感慨深い。
私たちは、神様にはなれない。
社員とよく「難しいって何?」という会話をする。
全社員で会社のルールや方針を決めるMeeting of All staff。 ミャンマーで始めてから1年がたった。
もうすぐ自分の部下が日本に行く。 プログラマ至上主義のミャンマーで、 品質やテストのエンジニアになりたい、と言うとても変わった子だ。
おかげ様で、30歳の誕生日をミャンマーで迎えることができた。 想像もしていなかったことだ! 20歳のときには私はてっきり日本にずっといて、 ふつうの一般的な生活をするものだと思っていたから。
もうすぐミャンマーに来て1年になる。 日本にいたときは、あんなに早く過ぎた1年が、 ミャンマーで過ごす1年はとにかく濃く、長い。 まだ、1年。とても長く、生きていた気がするのに。呆然とした。
先日、ミャンマーでお子さんを育てていらっしゃる方にご自宅に招いていただいた。 子供を産み、そして母国ではない国で育てていらっしゃる、勇敢で優しい方である。 お暇させていただくとき、その方がお子さんに向けてかけていた言葉に思い起こすものがあっ…